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イタリア大好き!な働く主婦が綴る日々の雑感、独り言♪                HN 杏

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そうかな?

お昼休みなので~

今日は帰りが遅くなるから、今のうちに書いちゃおう^^

あ、個人的見解ですのでね、不愉快に思われる方も大勢いらっしゃるかと・・・
スルーしてくださいまし・・・

ただ、私は、何度か書いているように、ニコニコな記事とかバカみたいなキラキラの記事ばっかりは書きたくないので。。。
いろいろと考えるからヒトは人間なのだ、と思います。

こんな ニュース を読みました。

そうかな?
そもそも、この人が首相ってことからして・・・

私は世界に恥ずかしいと思う!

なにも決められない、リーダーシップのかけらもない、ただのお坊ちゃまが、首相になってしまった、我が国の悲劇です。

ブッシュジュニアよりもひどいんじゃないか、とすら思う今日この頃・・・

しかし、我が国には政治家はいないのだろうか???
明治維新で全員出尽くしちゃった感がありますね。。。

駐米大使、そもそも日頃彼はなにをしているのでしょう?
外交官の一番の花形と言われる駐米大使。
陰が薄いですね・・・
あなたも海外メディアに文句を言う前に、会談の設定とか奔走したらどうよ?
そういうのは下っ端の事務方がする仕事で自分は関係ないとでも思っているのだとしたら、それはとんでもない間違いです。
着飾って奥方とパーティに出かけ、飲み食いし、談笑するだけが外交官の仕事ではありません。
もし、それだけであの高額な報酬を得ているのなら、私たちが払う税金の無駄使いとしか言いようがありません。
文句を言う前に、仕事をしましょう。

あ、私、今いろんなことから外交官とその妻についてはかなり辛口なんです。
こちらも不愉快に思われる方が多くいらっしゃると思いますが、ごめんなさい~
by ank-nefertiti | 2010-04-16 13:16 | 考えること
仲よしのmidoriさんが25日の日記で、ローマ法王の来日と列福式について書かれていました。
TVでもちょっと放送されていた列福式の模様。。。

自分でも忘れていたのですけれど、このブログを始めたころ、実は違うブログというのか覚書というのかそれこそ自己満足の日記(ここもですが)を書いていて、そこに誰に読んで貰うでもなく書いた日記というかメモ・・・
それが今日のタイトルで書いた雑文です。
書いたのは去年の3月18日。。。(少しの間、こことそちらと二足のわらじだったのです)

ここでもこういうことが頻繁に書けたらよいのですけれど、なかなか時間がなくて、ついつい楽しかったことばかりを書いてしまいます。
私のちょっと違う一面も見ていただけたら、と思って、今日は、それをここに再掲載・・・
長いので、無理にとは言いません~>苦笑

                 *************************

先日、新聞を読んでいたら、日本人として約140年ぶりに188名がローマ法王によって、福者(聖人に準ずる存在)に列っせられるという記事が掲載されていた。その中に「ペドロ岐部」の名があって、ああ、まだこの数奇な人生を送った神父は福者として列っせられていなかったのか、と思った。

「ペドロ岐部」という江戸時代初期のカトリック司祭の名を知っている方は、どのくらいいるのだろう。今から20数年前に遠藤周作氏の著作「銃と十字架」を読んで、私も初めて知った、日本人司祭ではあるのだが。

当時の豊後の国(今の大分県)の熱心なキリスト教信者の親の元に生まれ、有馬神学校に学んだ人で、その後の禁教令で日本を追放され、マカオのイエズス会を頼り、その神学校で同宿として修行をした人だ。だが、マカオのイエズス会からも厄介者扱いをされた当時の日本人信者たち。日本へ戻り、他の信者たちと痛みを分かち合うという道もあったが、ペトロ岐部は単身陸路ローマへ向う。

彼の中で、司祭にならなければ、今の同宿の身分では、罪の懺悔を聞くことも、洗礼を授けることもできないという思いが、日本へ帰る道を選ばず、数人の仲間とインドのゴアへ行くことを決心させた。しかしゴアでも司祭への道は開けず、カトリックの総本山であるローマへと岐部は向うこととなる。海路で行くより陸路を選んだ岐部は、ひたすら砂漠をローマを目指し歩く。途中、エルサレムを見たかもしれない。彼がどんな思いで歩いたか、記録が残っていないので、江戸時代の初めに、言葉もおそらくラテン語以外は不自由であった青年の、期待と不安は察するに余りある。

様々な苦労の末にローマへたどり着き、そこでマカオやゴアで受けたものとは違う扱いを受け(はるか日本から単身徒歩でやってきた、ということが当時の法王庁を感動させたらしい)、修行の後、岐部は望み通りに司祭となった。

司祭となった岐部を待つのは、迫害を受けている祖国日本のキリスト教信者たちの元へ戻る、ということ、そしてそれは「死」を意味することでもあった。上司へ帰国を願い出、許可されると岐部は海路で日本へ向う。途中、ゴアへ寄り、シャムへも向い、イエスの教えとキリスト教会の行為のあまりの落差を目の当たりにしながら、ただひたすらイエスの教えのみを信じ、帰れば死が待つ日本へと歩を進めるのだ。

そして、日本の土地を十数年ぶりで踏んだ岐部は、なお一層迫害が酷くなっている祖国の姿に愕然としながらも、九州長崎を拠点に潜伏司祭として、信者の懺悔を聞いたり、励ましたりと活動を開始するのだが、長崎奉行の隠れキリシタン追求の手が激しくなり、長崎を離れ、東北仙台藩へその活動の拠点を移すこととなる。仙台藩はまだキリスト信者に対し、迫害がそれほどではなかったからであるのだが、政宗の死後、状況は変わり、仙台藩も安全からはかけ離れた地となって、ともに活動していたポルロ神父が自首する事態となって、岐部も捕まることとなった。

その後、岐部たちは江戸へ送られ、棄教を迫られるが拒否を続け、当時、これ以上の刑はない、と言われた汚物の入った暗い穴へ、身体を縄できつく巻かれ、逆さに吊るされる「穴吊るし」の刑を受ける。この刑で、かつて日本管区長だったフェレイラ神父も棄教したという過酷な刑である。60歳を超えていたポルロ神父と弍見神父は耐えられず、棄教を役人に告げる。岐部の思いはいかばかりだっただろう。岐部は、盛んに棄教を迫る役人の声に最後までうなずくことなく、死を選んだ。

遠藤周作氏の「銃と十字架」によれば、岐部の心の奥底にあったのは、日本を追放されたあと、マカオから日本へ帰る道を選ばず、一時なりとも祖国の同胞を見捨てる形となったことへの罪の意識、そしてキリスト教がヨーロッパの侵略の手先と信じている江戸幕府と迫害者たち、それらに対し日本人の神父としてイエスの教えは侵略とはまるで関係のないものであることを、身を持って示す使命を感じていたからだとある。

そうなのだろう。岐部は徒歩でローマまで行く間に、自分の信じるイエスの教えとはまるで反対の侵略を行うキリスト教会の姿を見てきたはずだ。その矛盾に苦しんだに違いない。違いないが、誰もその矛盾について答えをくれなかった。くれなかったから、彼は一人でその答えを導こうと戦ったのだ。そして答えが殉教だった。ヨーロッパのキリスト教のためでなく、ただひたすらイエスの教えと日本人のため、己の信じるもののため、ペトロ岐部は死を選んだのだ。

こう書くと、私がいかにもキリスト教信者のようであるけれど、決してクリスチャンではない。たまたま出身校がミッション系の学校で、否応なくキリスト教学だの宗教哲学だのを勉強させられので、多少は知識としてイエスの教えは知っているが、どちらかといえば無宗教の人間なのだ。なのだが、20数年前にこのペドロ岐部という、江戸時代の日本人神父の存在を知って、非常に胸を打たれるものがあった。

そして、そのペドロ岐部が殉教して300年以上たって、ローマ法王によって、あの天正少年使節団の中浦ジュリアンともどもようやく福者に列せられることになった、というニュースに接して彼の数奇な人生に、ようやくキリスト世界が答えを与えてくれたように思えた。

ペドロ岐部が書いた、ラテン語の書簡が残っている。とても美しい文字で、ラテン語が達者であったことがうかがえる。強い心の持ち主だったのか、それとも弱い心を信仰という助けを借りて強くしていたのか、彼のラテン語の文字を見る限り、私は意志の強い人だという印象を持った。強い人だったのだろう。今ごろ、天国でペドロ岐部は、自分の人生が間違いでもなかった、と微笑んでいるだろうか。
by ank-nefertiti | 2008-11-26 23:41 | 考えること

寛容の帝国

今日の朝日新聞朝刊の「クロストーク」で、文化人類学者の渡辺靖氏が、塩野七生さんに「寛容な世界は可能ですか」というタイトルで、インタビューをした記事が掲載されていました。

今、現在は「ぎすぎす」が目立ち、エゴがぶつかり合う「不寛容な時代」。
塩野さんの大作、「ローマ人の物語」
その中でローマを「寛容の帝国」と塩野さんが述べていることから、渡辺氏は「寛容」をキーワードとして塩野さんとの会話を進めていきます。

塩野さんがローマが寛容だったのは「多神教」だったからだ、多神教は自分とは異なる神を信じている人が隣にいて、そのことを認めるのが多神教の社会であり、互いに冒涜するような行為はしない、と渡辺氏に答えています。

ローマ帝国と大英帝国の違い、そして今のアメリカとの大きな違い・・・
大英帝国は、ローマの寛容がなかった。
そしてアメリカは帝国たりえていない、と・・・

帝国をやっていくには覚悟がいる、が、現在のアメリカにはその覚悟と度胸がなく、そんな度胸もない人たちが、絶対的な軍事力を背景に帝国みたいな力を持ってしまったのが、現代の我々の悲劇だ、と言いきる塩野さんの凄さ。。。

この対談は色々なことを考えさせられました。

日本は一神教ではなく、多神教の社会、と言ってよいかと思いますが、昨今のこの殺伐とした社会の様子は一体どうしたことでしょうか。
塩野さんが「日本はもう少しやれると思う、自分たちが持っているものを十分に活用していないのだから」と言うように、持っているものを自覚し、活用すれば、この殺伐とし、崩壊の危機をはらんだ時代を乗り越えることが出来るのでしょうか。

うーん。。。とうなり、考えましたが、答えは出ません。

現代の日本には、昔あった、やさしさやいたわりの心、他者を敬う気持ち、それが完全に薄れて、人を騙しても平気、人を殺しても平気な顔でTVのインタビューに答える人がそこここにいるように思えます。

渡辺氏が言うように、近代以前の帝国の寛容さからもっと多くを学べるはず、とは言うは易く、行なうは困難・・・なこと。
ですが、やはりローマの征服した土地の人たちをも敬う器の大きさを、今の社会はもっと知るべきであろう、と思います。

それにしても塩野七生という人の、切れ味の凄さ、恐れ入りました。。。
同じ女性として、本当に羨ましい限りです。

ということで、本日の記事は、非常に固い内容となりました。
私は本来、こういう内容の記事もここで書いてみたいのです。
書いてもどうなる、と言うわけじゃないのですが、いつかyukaさんへのコメントに書いたように、どうでもよいことは書きたくないのですね、私・・・

そんなわけでこれからこういう固い、面白くもない記事がときどきUPされると思います。
嫌がらないでのぞいてみてくださいね♪
by ank-nefertiti | 2008-06-03 01:07 | 考えること

本日は辛口・・・

今日はちょっと辛口の日記です。

22日に判決言渡しのあった「光市母子殺人事件」
最高裁の高裁への差し戻しからようやく判決。。。
事件が起こってから9年の月日が流れました。

昨年も「人権」というタイトルでこの事件について書きましたが、今回もまた書かずにはいられません。

被告人の弁護団は、今回の判決についてひどい判決だ、と口々に言っています。
新しい事実を何も認めず、最高裁の言いなりの判決だと。。。

ですが、反対側から見れば、この広島高裁の判決は非常に画期的なものです。
過去の例に拘束されることなく、事件を判断したという点で。。。

それまでの少年事件の死刑となる判例は永山事件でした。
つまり事件を引き起こした時点での、被告人の年齢と殺された方の人数で懲役刑か死刑かを判断していました。
光市の事件は、被告人が18歳と1ヶ月で事件を起こしたことから、1審、2審は無期懲役。
検察の上告により、最高裁は弁論を開き(珍しいことです)、自判こそしなかったものの、「情状に酌量の余地はない」として、高裁へ差し戻しました。
つまり、無期懲役は軽い、と言ったのです。

それほどこの事件は残虐で、あまりに被害者の人間としての尊厳を否定しています。

高裁に差し戻されて、被告人の弁護人は変りました。
変った途端に被告人の供述が変りました。
罪を認めていたのが、突然殺意はなかった、と言いだし、あげくに「どらえもんが何とかしてくれると思った」「魔界転生にあるとおりにした。生き返らせるための儀式だった」と何を血迷ったことを!と言いたくなるような陳述を繰り返しました。

このことが示すものはなんなのでしょう?
弁護人は、殺人でなく、傷害致死だと主張しましたが、どこが傷害致死?
夕夏ちゃんは11ヶ月の赤ちゃんで、叩き落せば命にかかわることは自明のことです。
首に紐を二重に巻いて絞める、それのどこが傷害?
明らかに殺意があるではありませんか。

被告人の弁護団は声高く被告人の人権を叫びますが、なら、なんら落ち度もないのに、死なねばならなかった弥生さんと夕夏ちゃんはどうすればよいのでしょう?
弥生さんと夕夏ちゃんには人権はないのですか?
そのことを弁護団はどう考えているのでしょう?

ご主人の本村さんが「罪を最後まで認めて謝罪すれば死刑判決はなかったかもしれない」とおっしゃっていますが、本当にそうです。
ある意味、この元少年は弁護団の被害者かも知れません。
人の裁判で自分の主義主張を達成しようとする弁護士たちの被害者かもしれませんね・・・

判決に大不満の弁護団は即日上告しました。
もういい加減にしませんか?
9年も被害者の家族は辛い思いをしてきたのですよ。。。
これ以上どうして苦しめる必要があるというのですか?
弁護団にこれ以上被害者の家族の人生を振り回す権利はない、と思います。

新しい事実が出てきたのだから、それを評価しろ、という弁護団のいう新しい事実とは、どう見ても不合理なものばかりです。
元少年の被告人の供述も、不合理なことばかり・・・

死刑廃止を訴えるなら、人の裁判を利用せずに、違う方法でおやりなさい、と言いたい・・・
by ank-nefertiti | 2008-04-25 23:27