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イタリア大好き!な働く主婦が綴る日々の雑感、独り言♪                HN 杏

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1年経ちました・・・

1年前の今日、午後2時46分、東日本一帯に最大震度7の大地震が起きました。
その日、21階の事務所にいて、まるで大海原を小舟でゆくようななんとも言えない揺れに、これはどこかで大きな地震が起きた!と即座に思いました。

TVを付けると、東北地方で非常に大きな地震が起きたことを放送していて、その時思ったのは、津波は?でした。

すぐに津波に襲われる沿岸地域が映し出されて、これは地震よりも津波による災害の方が大きいのじゃないか?と感じたことがその通りとなった震災。

そして、津波だけでなく、この大地震は原発事故という副産物も引き起こしました。

あれから1年・・・

国立劇場で開かれた政府主催の慰霊祭で、被災者代表がそれぞれ言葉を述べましたが、涙なしには聞けませんでした。

そこに居並ぶ政府の人たちはどのように聞いたのだろう?と思います。

問題山積みの被災地の復興。
ひたすら手をこまねく政府、行政。

と、ここまで書いてきて・・・

あとは・・・書けない・・・

東北岩手・盛岡で暮らした2年半。
その当時何度も訪れた沿岸部。
釜石も、陸前高田も、大船渡も、宮古も、三陸鉄道のあの可愛らしい駅舎の田野畑や島越も・・・
何もなくなって、そしてそのままの姿で1年が経ってしまった・・・

娘が昨日、今日と宮城へ行き、津波の被害にあった亘理や仙台空港へ出かけたそうですが、亘理では海までどうしても行けなかった、と戻ってきて話してくれました。

それは・・・きっと、私が書けない理由と同じだ・・・と思います。

先日、TVで放送していた方のことが新聞の記事にもなっていました。
孫を助けて、自分は津波にのまれたおばあちゃん・・・
最後に叫んだのは

「生きろよ!バンザイ、バンザイ!」

という言葉だったそうです。

生きている私たち・・・
そのことに感謝して、これからも生きていきたい、と思います。



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by ank-nefertiti | 2012-03-11 20:45 | 考えること

スキル

3月なのに、鬱陶しいお天気が続きます。
花粉も飛び始め、ますます鬱陶しい^^;
そんな中、パラリーガル専門の転職・派遣の人材会社があることを知り、登録に行きました。

履歴書と職務経歴書を持参してくださいね、ということだったので、履歴書の方は書くと言っても学歴と職歴、志望動機やら特技やら、まあ普通のことしか書きませんが、職務経歴の方はパラとして17年間に行ってきたことをこれでもか!(苦笑)という位書いて持参^^

登録の面接をしたのが、え?あなた?な若い男性でしたよ。

私の経歴を見て、

「え?17年間パラリーガルとして仕事をされてきたのですか?」

と開口一番に聞きました。

そして、次に聞かれたのが、職務経歴に書いたこれまでに行ってきた仕事のこと。(そりゃ当然)

「このスキルはどうやって?」

だからね・・・
17年前には、パラリーガル養成講座なるものは存在せず、弁護士会もパラの研修なんてほとんどやっておらず、事務所にあった昔の実務書をひたすら読んで、独学で見につけた、と答えましたよ。
だって事実なんですもん。
今ではインターネットでググればいろんなことが出てきますが、当時はそれもなかったのですから。

17年前になんでパラとして働こうと思ったのか、とも聞かれました。

これは簡単!
求人広告に必ず「ワープロ必携」と書かれていたのが、法律事務所で、当時の私にはそれしかスキルがなかったから・・・です。

これには笑われました。
もっと高尚な理由でだと思っていたらしい・・・
というか、多分、登録している方たちは動機については高尚な理由をあげているのでしょうね。

法学部ではないから、就職するときに「法律は知らなくてよい」という弁護士の言葉を鵜呑みにして、お気楽な気分でいたのが大間違いだったことも話しました。

「これから接見に行ってくる」

と言った弁護士の「接見」という意味が分からず、私の頭に浮かんだのは「石鹸」>苦笑

「先生、石鹸でしたら私が買いに参ります」

と答えて、弁護士があきれ返り

「あのね、いやしくも法律事務所に勤務しているのだから、必要最低限の言葉として知っていて欲しいんだよね。接見というのは、刑事事件の被告人に面会に行くことだから。手を洗う石鹸じゃない!」

あ、そう・・・
だって、普通の生活している人はあまり使わないでしょ、接見。。。

まあ他にもいろいろと聞かれました。

弁護士が留守の時には、与えられた仕事が済んでしまうと、とにかく六法全書の「民事訴訟法」と「刑事訴訟法」あたりから読み始め、仕事に必要かな?と思われる「執行法」やら「破産法」、「会社法」あたりをひたすら読んだこと、今と違って実務書もいろいろとあったわけではないので、事務所にあったものを読んで覚えたこと。
当時は裁判所の書記官はいじわるで、法律事務所だというと何も教えてくれず、初めて行った債権執行の申立てでは、「不備がありすぎ!誰が作ったの?この書面!」と怒鳴られ、弁護士・・・と小さな声で答えたら、書記官が「あ、そう。じゃあ事務所に帰って、弁護士にこれじゃダメだから、と言って作り直してもらって出直して!」と再度怒鳴られたこと・・・
だから、それからは必死で書式集やら実務書やらを見ながら自分で申立書を作成するようになったこと。

破産申立書も見よう見まねで作り、クライアントからの事情聴取も行って、とにかく裁判官や管財人を納得させる報告書の作成もするようになったこと、民事再生も???なところから始めてなんとか出来るようになり、普通なら絶対に通らない再生案も通してしまったこと・・・

建物明渡執行の執行立会いもすること。
執行官から「女性が立ち会うのは珍しいというか稀だ」と言われて、仕事だからやるのが当然だと思っていました、と答えたら、「まあ危険が伴うからね。普通は男性が立ち会うんだよね。女性の事務方しかいないところは弁護士が来るんだけど、あなたのところは女性にやらせるんだねぇ。へえ・・・」と驚かれたこと、だけど、それからもずっと執行の立会は私が出かけていたこと・・・

そんな諸々の話をしたら、

「杏さん、たたき上げのパラなんですねぇ」

と妙に感心され、「こういうベテランのパラリーガルのお話は、私だけでなく、若いパラに聞かせたい」と言われて、あら、じゃあそういう講師の仕事はないのかしら?と思わず聞いてしまいました^^;

パラとして何が一番大事だと思うか、とも聞かれ、それには

「相談にくる方は、本当に困っているから相談にくる、そういう人の痛みがわかること、困って事務所にみえる方から、あなたが事務でよかった、と言ってもらえるように常に気持ちに寄り添って仕事をすること。ほかのPCのスキル、法律の知識はそのあとの問題だと思う」

と答えたら、本当にそうなのだが、最近の弁護士はそこらへんの理解が足りないのですよ、と言われて、あ、私はとても古いタイプのパラで、紹介もしにくいのだろうなぁとなんとなくわかってしまい、うーん・・・パラとしての転職は難しいかな、とちょっと考えてしまいました。

パラリーガル構成講座の講師なんて出来ないのかなぁ・・・
そういう講座は弁護士が講師としてしているのだろうねぇ・・・
だけど、実務知らない弁護士、たくさんいるんだけどな・・・

最後に言ってきたのは

「1,2年経験しました、という方や、養成講座で勉強しました、という方よりは、経験の中で身につけてきたスキルなので、それはもう実践に強い、という自負はあります。事務所には若いお客だけでなくお年を召した方も多くみえます、そういう方には若い方が出てきて何かいうよりもある程度年齢の近い事務が担当する方がうちとけてくれてよい結果が出ることが往々にしてあります。生意気を言うようですが、それが私の最大のスキルと言っても過言じゃないと思っています」

だけど。。。
確かに面接をしてくれた男性が言うように、私のようなタイプのパラは転職は難しいのでしょうねぇ・・・
まあどちらかというと、職人タイプだものね・・・

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私に桜が咲くことはあるのかしらん・・・


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by ank-nefertiti | 2012-03-09 01:11 | 考えること

寒い夜は

3月、弥生となったのに、寒い・・・
家の梅はつぼみが固く、このままだと桜と梅が一緒に咲きそう・・・
それじゃあまるで東北の春と一緒です。
でも、桜や梅が咲くだけよいかなぁ・・・

で!
寒い夜は

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ふわふわの鶏団子のお鍋。

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一緒に入れるのは、ピーラーで剥いた大根とにんじん、そしてネギ。

鶏団子は鶏のひき肉とはんぺんと玉ねぎのみじん切りを炒めたものと隠し味がマヨネーズ。
去年の暮れに朝日新聞に載っていて、あ、おいしそう!で作ってみたら、大好評で、今年の冬の寒い日にはよくテーブルに乗りました。

というか3月になってもまだこういうお鍋がテーブルに乗る、という今年の冬は少しおかしいのかも・・・

今週の日曜日は、あの未曾有の大震災から1年・・・
昨夜、これまたテレビ東京で、宮城の地方紙、河北新報の震災時の様子をドラマ化したものを放送していました。
新聞社ですら被災地がどのような様子だったか分からなかったあの大地震。
沿岸沿いの支局と電話がつながらず、あせる本社編集局。
空港が津波で使えず、ヘリも飛ばせない状況で、東京の大手マスコミがどんどん流す情報に、地元でありながら何も発信できない記者たちは悔しさと無力さに地団駄を踏みます。

ただ。。。
電気が通じてしなかったので、TVは見ることが出来ず、東京のTV局が流す情報は彼らには届かず、何が起こったのかを知ったのは、ようやく届いた新聞によってだった、ということが、彼ら新聞記者の記者魂の救いだったのかもしれないなぁと見ながら思いました。

それにしても、あれから1年経つというのに、被災地はなにも変わっておらず、現地からくる情報も「なんだなかぁ・・・」ばかり・・・
今日、otosanがお友達の岩手深萱のお豆腐屋さんからお豆腐を買ってきましたが、まだまだ本当に大変だと聞いていて、お豆腐が作れるようになったお友達のところはまだよいけれど、沿岸地域に暮らす方々の暮らし向きを思うと胸が痛いです。

なんだか・・・
あたたかい部屋で、こんなお鍋を食べていてよいのだろうか?とすら思います。
いや、自分の頭の上のハエも追えずにいる私なので、何ができるということもないのですが、それもまた本当に情けないと思う今日この頃・・・




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by ank-nefertiti | 2012-03-05 22:44 | 考えること

La Liberté guidant le peuple

テレビ東京が放送している「美の巨人たち」
今回は、パリのルーヴル美術館とオルセー美術館の大特集でした。

ルーヴルにある数多くの絵画のなかで、この絵が一番好き。

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ドラクロワの「La Liberté guidant le peuple」
日本では「民衆を導く自由の女神」と訳されることが多いですが、「民衆を導く自由」が正しいのかな?と思います。

この絵を実際に見たとき、しばし絵の前から動けなかったことを思い出します。

そういう絵画に出会うことはそんなにないと思うけれど、他に動けなかったのはダ・ヴィンチ「最後の晩餐」とボッティチェルリの「春」、そして聖マルコ教会にあるフラ・アンジェリコの「受胎告知」

というかそういえるほどたくさんの絵を見ているわけじゃない、ということも大きな理由の一つですが・・・
で、まだ実物を見ていないけれど、多分動けないだろうな?と思うのがレンブラントの「夜警」
他にもあるかしら???
あ、どうしても見たいのは、古代エジプト19王朝の王妃ネフェルタリのお墓の壁画でしょうか。
写真でしか見ていませんが、3000年以上も前のものとは思えないくらいに色がきれいなのです♪

「自由」ということの意味を深く考えさせられた絵画でもあります、このドラクロワ・・・
そして見ている間、ずっとラ・マルセイエーズ が頭の中で聞こえていました。

しかし・・・
この「美の巨人たち」って、構成が下手です。
まあ最近のTV番組には多くみられることですが、そんなどうでもよいことを大袈裟に言うんじゃない、そこまで引っ張るんじゃない!と、特にこの番組では思います。
よい番組なのにもったいないわ・・・


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by ank-nefertiti | 2012-03-04 00:47 | 考えること

絶望名人カフカの人生論

先日、新聞を読んでいたら、「絶望の言葉 救いの力」というタイトルの記事がありました。

カフカの「絶望の名人 カフカの人生論」(頭木弘樹訳編 飛鳥新社)に収められているカフカの人生観を表した言葉たち。
未読だけれど、この本にはネガティブな言葉が多く集められているらしい。
だけれども、この本の訳と編集をしたカフカの研究家である頭木弘樹さんは、

「カフカの言葉はネガティブでも、そこから力を引き出される不思議な魅力があります」

と言っています。
そして

「前向きになるためには一度、ネガティブな言葉が必要になる場面があると思うんです」

とも・・・

その本の中に収められている言葉

「将来に向かって歩くことは、ぼくにはできません。
 将来に向かって躓くことは、これはできます。
 一番うまく出来るのは、倒れたままでいることです。」
「ぼくは人生に必要な能力を、
 なにひとつ備えておらず、
 ただ人間的な弱みしか持っていない。」

妙に納得してしまいました。
ストン!と胸に落ちました、この言葉たち。

カフカは、はるかな昔に「変身」しか読んでいないけれど、41歳を前に結核で亡くなった寡作な作家である彼の、この言葉を集めた本を読んでみようか、と思いました。

常に、常に、頑張って、走り続けてきた人が、時に「倒れたままでいよう」と思うことは、必要なことなのかもしれません。

あと少しで、あの大震災から1年が経ちます。

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この子も、ずっと頑張って生きてきて、なぜかノラちゃんから家の子になってしまったとき、「もう倒れたままでいようかしら」と思ったかしら・・・
                   


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by ank-nefertiti | 2012-02-17 22:49 | 考えること
昨年の年末、ブログのアクセス数が驚くほど増えたときがありました。
本当に凄いアクセス数で、なんで???と驚きました。
私のブログは、特別なアクセス解析をつけていないので(意味がないので)、アクセスしてくださる皆様がどんな理由で、どこから?は想像するしかないのですが、その時は仲良しさんのブログが炎上とまでは言いませんが、ちょっとややこしい状態になっていたときで、その絡みでアクセス数が増えたのかな?などと思ったのです。

ですが、数日、というか年が明けてもアクセス数は多く、検索キーワードもなぜ?な言葉が上位にいて、さすがに調べてみようと思いました。

去年の暮は仕事がどうなるの?という事情もあって、新聞をゆっくり読むこともなく、日々が過ぎてゆくという状態だったので、このブログのアクセス数が増えた理由がわかったのは、お正月の三が日が明けたころでした。

このことをいつ書こうか?と、イタリアへ行く前に書こうか、それとも戻ってきてから書こうか?とか考えましたが、結局今頃になってしまいました。

アクセス数が増えた理由・・・

それは、辻邦生さんの奥様であり、西洋美術史、特にビザンチン美術、ロマネスク美術の研究者としては日本の第一人者である辻佐保子さんが亡くなられたから・・・

でした。

辻邦生さんの作品の大ファンである私は、大学時代に学園祭の実行委員をしたとき、講演会に辻さんを呼ぼう!として、あちこち電話をかけました。
若いと言うことは恐ろしいことで、なんと辻さんのご自宅にも電話をかけました。
その時、電話口に出ていらしたのが佐保子さんで、若い学生の、なんとも勝手な言い分を黙って聞いて下さり、申し訳なさそうに

「ごめんなさい。どこの大学の学園祭でも講演はしないことにしているのよ。ここでしてあちらでしない、というわけにはいかないでしょう。折角ご熱心に言ってくださったけれど、お伺いすることは出来ないの」

と鈴を転がすような可愛らしい、きれいな声で佐保子さんはおっしゃいました。

それでも「渡辺先生のご縁もありますし、なんとかいらしていただくわけにはいかないでしょうか」と食い下がる、本当に佐保子さんにはご迷惑様な私に対して

「本当にごめんなさいね。渡辺先生のご縁もあるからあなたの学校だけでもとは思うけれど、こればかりはね、できないのよ」

と本当に申し訳なさそうにおっしゃいました。

それから何十年も経って、ふとしたことから知り合いになった方が、佐保子さんのおじ様である仏文学者の鈴木力衛先生のお嬢様であることがわかり、その時はもう辻邦生さんは亡くなっていらしたのですが、実は辻邦生さんの大ファンであること、卒論も辻さんであること、講演会をお願いする電話をして佐保子さんを困らせたことなどをお話しました。
その方は

「まあ!杏さん!なんで早く言ってくれなかったの!邦生さんが元気な時にこの話を聞いていたら会わせてあげたのに!」
「佐保子さんと邦生さんにはお子さんがいなかったから、私は子供のころに邦生さんに随分遊んでもらったのよ。まあ、こんな近くに邦生さん信奉者がいたなんて!」
「こんなに邦生さんの作品を愛してくれている人がいるって邦生さんが知ったら、どんなに喜んだかしら!」

と、私をまじまじと見て言いました。

「だってRさんが力衛先生のお嬢様だなんて知らなかったんですもの」

と言ったら

「そうよね、自分の父親が鈴木力衛ですなんて普通言わないものね、聞かれない限りねぇ。父は父だし、私は私だしね」

そうですよねぇ、と私も言って、お互いに残念だったと顔を見合わせたことがあります。

そして数年前の夏、軽井沢文庫での辻邦生展のとき、佐保子さんと辻家の軽井沢の家の設計をした磯崎新さんが対談をするというので出掛けたときも、佐保子さんに挨拶をしたくて並びましたが、私の2,3人前で「ごめんなさい。疲れてしまいました」とおっしゃって、佐保子さんはお帰りになってしまわれ、仕方ない、また何か機会があるかもしれない、だけどもう80歳に近い佐保子さん、持病も抱えていらっしゃる佐保子さんだから、これが本当に佐保子さんにご挨拶する最後のチャンスだったかもしれない、と気持ちが落ち着かないまま軽井沢から帰ってきたことを思い出します。

その予感は的中してしまい、私はとうとう佐保子さんとお話をすることがないまま、佐保子さんは昨年のクリスマスに一人で天国へと旅立ってしまわれました。

軽井沢での対談の折、

「辻が亡くなってもう10年が経つのに、私はまだ生きている、と思うとなんとも切ない」

とおっしゃった佐保子さん。

天国で辻さんと会われて、辻さんは佐保子さんに

「いろいろ迷惑かけたね」

とおっしゃったでしょうか。

蔵書の整理やら、全集の月報やら、佐保子さんがその後なさったご自身のお仕事とは別の辻邦生のための仕事の数々、それを辻さんは天国から見ていらして、もういいよ、とおっしゃられて、自分の傍に来なさい、宗吉も来たから、と、佐保子さんを連れにいらしたのでしょうね。

「のちの思いに」

に登場する、リスちゃん。
東大始まって以来の美学美術史の女子学生で、大学院へも進まれ、その後の中世美術の研究の世界での影響力の大きさ、教え子の多さから、佐保子さんは辻邦生の妻という顔の他に美術史研究の第一人者としての顔も持っていた、凄い人・・・

そのリスちゃんを何とか射止めようと必死だった辻邦生さん、今頃天国でさぞかし語り合っていらっしゃることでしょう。

生前に一度でよいからお話してみたかったなぁ・・・
ご冥福をお祈りいたします。。。


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by ank-nefertiti | 2012-02-16 22:43 | 考えること

事の顛末

昨日は仕事納めでした。
5月のあの衝撃的な宣告から言えば、本当に仕事納めになるはず・・・だったのですが・・・

はは、なんのことはない、正規雇用ではなくなりましたが、お仕事継続^^;

どこまで書いてよいのやら???なのですけれど、こちらの条件、あちらの条件、話をした結果、私はもう事務所の経理やらなにやら本来の仕事の他に持たされていた責任を負う仕事はNo!ということ、休みは自由にとりたい!ということ、次に本当にやりたい仕事が見つかったときは、即刻事務所を辞める、ということを条件に立場をパートとしてもらうことで、来年からも仕事は継続、ということになりました。

お給料はかなりダウンしますが(といってもね、今までだってそんなにもらっていなかったしね)、とにかく事務所の経理まで見ていたのだから、それが無くなるだけでどれだけ気分が楽でしょう!
もう毎年の確定申告の時は大変だったのですよ。
私が管理している口座はわかりますが、弁護士が自分で管理している報酬が入ってくる口座については通帳があちらにあるので、1年分をまとめてくれと言われても、???なことが多く・・・
来年からはそれもなくなるので、あ~、すっきり!!!

お休みもパート扱いですから、今までのように休みを取るのに恐る恐る・・・なんてことはなくなります。
だって、継続する条件の一番重要なものはそのことなのですから。

そもそも、この話をしたのは27日です。
あちらが「できればパートという形で、継続してもらいたい。次の仕事がまだ決まっていないのならお願いしたい」と言ってきたのですよ。

昨日、経理については小口現金もきっちりと〆て、Sちゃんに全部渡しました。
これからは文房具とかもろもろの発注も私はやりません。
全部Sちゃんにやってもらいます。
経理を預かるということはそういうことも含むので。

私は本来の法律事務だけを行います。
ええ、それが条件ですから。

法律実務は、基本好きです。
非常に面白い。
物事を論理的に考える訓練にもなります。
今の事務所は仕事が多岐にわたっているので(刑事も民事も家事もなので)、好奇心旺盛な(ミーハーとも言う^^;)私には日々その好奇心をくすぐることが起こって、もしかすると本が書けるかも!なのです。

しかしね、継続になるなら、イタリアへは2月に行ったのになぁ・・・
12月で今の事務所はお終いだと思っていたから、1月は休んで2月から別の仕事をしよう、だから休む1月にイタリアへ!と思って1月にしたのに・・・

ショーペロにはぶつかるしで、イタリアでの予定がすっかり狂いました。
初めての海外一人旅、無事に帰ってこれるかな~^^;(ルフト、ちゃんと飛んでね!)

というわけで、簡単ではございますが、私の仕事がどうなるのか?とご心配をおかけしてしまった皆様へ、事の顛末のご報告です。
本当にたくさんの方にご心配をいただきました。
感謝いたしております。
ありがとうございました。

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by ank-nefertiti | 2011-12-29 23:30 | 考えること

動物に罪はない・・・

家の20歳の猫のミーは、去年の夏の断脚手術以降、毎月動物病院へ検診に行っています。
レントゲンをかけたりの大きな検査は半年ごとですが、それ以外の血圧、腎臓、肝臓の検査を毎月します。
20歳ともなると、あちこち不具合が出てきて、薬に頼ることも多い我が家のミー。
腎臓と肝臓は薬が効いていて、今のところは落ち着いていますが、血圧だけは人間と同じで、一度飲み始めた降圧剤はやめることができません。
1日でもあくと途端に血圧が上がる・・・

以前は私がお休みの日に連れていっていたのですが、最近ではotosanが連れていくことが多くなりました。
今日も、仕事が一段落したotosanが本来なら土曜日に行かなくてはならなかったミーを連れて、かかりつけの動物病院へ行ってくれました。

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ミーの検査の結果は血圧が上がっていて、あらら!でした。

夕飯のとき、そんな話からotosanが今日、動物病院で会ったわんこのことを話してくれました。
日本犬のMixのように見えた、こんがりトースト色のそのわんちゃん。
とても品の良い老婦人が連れていらしていたので、otosanは「良い子ですね」と声を掛けたそうです。(otosan、本来は犬派です。子供の頃に北海道犬を飼っていました。おまけにトースト色の日本犬が大好き!)
そうすると、その品の良い老婦人が

「この子は、福島の被災地で保護された子なんです。集団で保護されたので、どの地域の子なのかはっきりとわからないんですよ。私が引き取ってからもう8か月になるのですけれど、未だに飼い主さんがみつかりません」

推定4歳、というそのわんちゃんは女の子で、引き取られた老婦人は避妊手術をしてやりたいのだけれど、それはかたく禁止されている、本来の飼い主じゃないので、病気になった時は病院へ連れていって欲しいと言われているけれど、とにかくそれ以外のことは一切しないでと・・・

確かに、本来の飼い主ではなく、預かっている立場なので・・・とおっしゃっていらしたそうです。

そのわんちゃん、本当におとなしい良い子で、otosanは良い子良い子と撫でてきたそうですが、今でも家の前を救急車やパトカーがサイレンを鳴らして走ると、ビクッと身体を固くするのだとか・・・
先日の明け方の地震のときも、このわんちゃんは家の中で大事にされているそうですが、テーブルの下にいたのが地震で逃げようとして、頭をテーブルに打ち付けてしまったそうです。

引き取られて8か月。
今ではその老婦人にすっかり懐き、穏やかな生活を送っているわんちゃんですが、元の飼い主さんはどこでどうしておられるのでしょう。

引き取られた婦人が、

「この子、今4歳だとするとあと10年は元気だと思います。そうすると私はとてもこの子を飼いきれない。元の飼い主さんが早く見つかるとよいなぁと思います」

と、複雑な表情で話された、とotosanが言いました。

動物に罪はない・・・
我が家の3匹も猫も、全員のらちゃんあがりです。
特にジジは、10年も庭で暮らしていて、もうこれ以上苦労はさせられない!と家に入れた子で、家には慣れてくれましたが、未だに私たちには慣れてくれません。
ちょっとだけ近づいても大丈夫になりましたけれど、まだまだ警戒心が強くて、ミーやちびたのようにはいきません。
動物病院でotosanがあったトースト色のわんちゃんは、預かってくれている婦人にすっかり懐いているようで、それは本当によかったのですけれど、本来の飼い主さんが見つかれば、今の家から飼い主さんのところへ行くことになるのでしょう。

なにが幸福なのか、ものを言わない彼らですから、わかりませんけれど、それでも彼らにとって何が一番よいことなのか、それを最優先に考えて欲しいなと、otosanの話を聴きながら思いました。




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by ank-nefertiti | 2011-12-06 00:26 | 考えること

羊をめぐる冒険?

これは、独り言です。
完全に私の独断と偏見に満ちた独り言。
コメント欄は開けますが、スルーしてくださってかまいません。

kimanbaさんのところで、「文体について」という記事から、文学論になって、私、そういうのは嫌いじゃないので、よそ様であることをすっかり忘れ、深夜に乱入^^;
今を時めく作家であり、きっと好き!という方は多くているであろうある作家について、切って切って切りまくり・・・
いや、本当に失礼してしまいました・・・
若気の至り^^;(ihokoさんに言わせると、私たちはまだまだ数十年しか生きていない小僧っ子だそうで・・・あ、ihokoさんはご自身で700歳を数える妖怪アミダ婆と言っておられます~)

で、自分の家で続きをやろう!と思いました。

私、ご存知の方も多いかと思いますが、決してやさしい人間ではありません。
キライなものはキライですし、好きだったものがある日ふとしたころから、大キライ!になることも多々あります。
その根幹にあるのは、「裏切られた」という思い・・・です。
人間関係でもですし、そのほかのことでもです。

kimanbaさんのところで切りまくった作家は、登場してきたころは、キライではありませんでした。
週刊朝日に連載されていたエッセーなどは、その切り口の面白さから、へえ!と思うことも多く、そのままなら「好き」な作家になったかなぁと思います。
初期のころの小説も、まあね、悪くはなかった。

ところが・・・あるとき・・・大ブレイクしたんですね、その作家。
読みましたよ、読まずに文句は言わないのが私の信条ですので。

感想は、「は?」

その後も出る作品出る作品、読みました。
が・・・
やはり、「は?」

そして、今や世界的に有名になり、なんとノーベル文学賞を取るのじゃないか?とすら言われるようになりました。

ここで問題なのは、世界に認められる、ということは、当然原文のままでということではなく、英語なりフランス語なり、ドイツ語なり、中国語なりにですね、訳された文章で・・・ということです。
つまり、裏を返せば、外国語に訳しやすい日本語で書かれた文章ということにもなるわけです。
平易な文章ともいえます。

まあ、難しくなく、やさしい言葉で書かれた作品、というのは、底辺を広げるという点では非常に役立ち、そういう意味では、まあ文学と言えるかどうか限りなく?ではありますが、功績はあったのかもしれません。
活字離れを食い止めた、ということも言えるかもしれません。

でも、敢えて言うなら、だからなんなの?
作戦としては上手いのでしょうねぇ。
しかし、ただそれだけのように思えるのですよね、私には・・・
今を盛りの「携帯小説」とどこが違うの?でしょうね?

「世界の中心で愛を叫ぶ」、これは映画化までされた「携帯小説」の名作とか言われていますが、私から言わせれば「勝手に叫んでれば?」
この作品を読む人は、この程度で泣けちゃうんだ、そんなに安っぽい感情しかないんだ、というのがこの作品を一応読んだときに私の心にわいてきた気持ちです。
村上春樹の作品を読んだときも同じ気持ちがいつもわいてくる。
「ああ時間の無駄をしちゃった!」という、ウンザリとした気持ち・・・
そういう気持ちがわいてくるということ、そこにあるのはよくもまあここまで商業ベースに乗ったよねという、初期のころの作品から感じたことへの作家の読み手への「裏切り」を感じるから、なのでしょう。
ええ、私は、ことのほかこの「裏切り」は許せないという思いが強い人間なのです。

価値観は人それぞれで、私が好きだと思う、凄いと思う作家なり作品が、万人に認められるものだとは、私は考えないし、それを否定する人がいても、ああ、そうなんだね、だけで、だからと言ってその人に議論をふっかけるつもりも毛頭ありません。

ただ、私の感性が、村上春樹を拒絶するのです。
私の、本能というか、そういうものが、「この男は胡散臭い」と告げるのですよ。

私が普通じゃないのかもしれませんけれど。

で、別に人は顔で作品を書くわけじゃありませんが、あの貧相な顔が、「文学者」というイメージから程遠い・・・
昔の、文豪と言われた人たちの、あの近寄りがたいまでの雰囲気、それがまるで感じられない、それこそそこらへんに転がっている男みたいな雰囲気。
それも嫌なことの一つです。
まあ、顔立ちは彼の責任じゃありませんが、それでもある程度の歳になったら、それなりの「風情」が出てくるはず・・・なのに、それすらないということは、これは一体どうしたことだろう?
結局、それだけのものでしかない、ということではないか、と思ったりするのです。

はは、かなりの暴論ではありますが・・・^^;

ノーベル文学賞が授与されるほどの作家ではない、と常々思っている私ですので、もしそんなことになったら、ノーベル財団へ殴り込みをかけそうです>苦笑
だって、彼が授与されるなら、以前も書きましたが、他に授与されるべき日本の作家はたくさんいたはずですから。
村上春樹を認める、ということは、そういう文学の先達に対して、本当に申し訳ない、と思うからでもあります。



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by ank-nefertiti | 2011-11-26 00:05 | 考えること

心からの感謝を・・・

10月の終わりに、otosanが福島へ行きました。
川俣町というところ・・・
町の教育委員会からこの町の出身のチェリスト、奈切敏郎さんへ依頼があった、日フィルメンバーを中心にした室内オケの演奏会を行うお手伝いで。

その時、ここにコメントを下さるberryさんが「届けてくださいますか」と段ボールに2箱、ご自身が忙しいなか編んでくださった帽子、マフラーやら読み聞かせにとの児童のための本やら送ってくださいました。

川俣町は、原発に近い区域が避難地域になっていて、そこの幼稚園から中学生までの子たちが、町の中心地へ集団で避難してきています。
今回のコンサートも彼らのために、というのが一つの目的でした。

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準備中のオケ。
指揮をされた奈切さん。

そして、このコンサートの後に、berryさんからの贈り物の贈呈式がありました。

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和やかな贈呈式。
町長さんにも帽子^^

生徒さんたちが本当に喜んでいたそうです。
町役場の方たちも、心から感謝していますと、すべて手編みのあたたかな贈り物に感無量という表情でいらしたとか。

berryさん、ありがとうございました。
これから冬に向かう被災地の子供たち、berryさんの温かいお気持ちと、温かい手編みのマフラー、帽子で温かく過ごせそうです。

震災から8か月。
被災地はまた冬を迎えます。
未だ終息の姿さえ見えない原発事故と、津波の被害からの復興。

被災地のみなさまの「どうか忘れないでください。忘れられるのが一番怖い」という切実な言葉・・・
忘れませんよ、大丈夫!

しかし、行政のなんと怠慢なことか!
この国は、民間の力でなんとか持っている・・・そんな気がします。





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by ank-nefertiti | 2011-11-13 17:57 | 考えること