2008年 11月 23日
ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて
昨日、先日観た「帝国オーケストラ」に続くベルリン・フィル創立125周年記念映画を観てきました。
「ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて」
現在のベルリン・フィルの様子をドキュメンタリーで描いていて、非常に興味深い映画でした。
2002年から首席指揮者で芸術監督を務める、Sir Simon Rattle 率いるオケのメンバーの証言と、Sir Simon Rattle の証言、そしてアジアツアーの模様を織り交ぜて、このオケのメンバーとしての思い、そして彼らが追い求めるものが次第に明らかになって行きます。
いつだったか、ベルリン・フィルとウィーン・フィルとどちらが好きか?と聞かれたことがあります。
そんなこと聞かれてもね。。。と思いましたが(どちらのオケも素晴らしいので)、ある一つの理由で「ベルリン・フィル」と答えました。
理由・・・
このオケには第一コンサートマスターとして、安永徹さんがいるから。
日本人として1978年に第一ヴァイオリンとしてベルリン・フィルに入団し、その後1983年にメンバーから選ばれて第一コンサートマスターに就任し、今に至る素晴らしいヴァイオリニストです。
ベルリン・フィルで、一般奏者からコンサートマスターになった初めての人でもあります。
安永さんは世界最高のオケの団員として30年、第一コンサートマスターとして25年、オケを支えてきました。
そもそもベルリン・フィルのコンサートマスターは、一般奏者から選ばれることはそれまでなく、安永さんが最初だった、ということが凄いことで、団員が彼を選んだ、ということはそれだけ団員からの信頼があったという証左でもあり、これを誇らずしてどうするの?と思います。
安永さんのヴァイオリンの音色はふくよかで、澄んでいて、その端整でありながら心の中にすっと入ってくる演奏は、ずっと私の心を捉えて離しませんでした。
奥様のピアニスト市野あゆみさんとのデュオも素晴らしいのです。
かなり昔、大阪のシンフォニー・ホールで聴いた、安永さん率いる「ベルリン弦楽ゾリステン」の「ます」は目の前でますがピチピチと川面を跳ねているようで、その後いろいろな方たちの「ます」を聴きましたが、あのときの演奏に勝るものには未だ出会えていません。
そんな安永さんのいるベルリン・フィル。
団員へのインタビューで、安永さんが
「戦いはいつも自分の中であります。これでよいのかという。でも、それをけして他人に見せてはいけないんです」
と答えていました。
確固たる自信をもって団員をひっぱる姿の後ろに、人間安永徹がいる、というこの言葉に、彼の音楽の素晴らしさを見たように思いました。
映画の最後は、東京・サントリー・ホールでの演奏会。
ベートーベンのシンフォニー「英雄」が演奏されます。
Sir Simon Rattle の指揮は押し付けるのではなく、音楽と、団員と同化して昇華していく素晴らしさがありした。
リハの様子もたくさん出てきますが、そこで交わされる指揮者と団員の忌憚のない意見交換。
それが今のベルリン・フィルが奏でる音楽の元になっているのです。
「何も解決できないことはない。いつかどんなこともきっと分かりあえ、解決できると信じている」
団員の一人が言った言葉・・・
この類稀なるオーケストラが、ずっと世界最高のオケとして存在し続ける最大の理由なのだ、と感じました。
よい映画でした。
クラッシックの世界だけでなく、どんな世界にもあい通じることがたくさん込められた映画です。
♪ ベルリン・フィル
設立は1882年5月1日。
第二次世界大戦中はナチス・ドイツの広告塔的な活動を余儀なくされたこともある。
終戦後、演奏活動を禁止されたフルトヴェングラーの後をチェリビダッケが継いだ時期が
ある。
その後、フルトヴェングラーが演奏活動に復帰し、亡くなるまで指揮を続けた。
フルトヴェングラー亡き後、チェリビダッケが後を継ぐと思われていたが、リハーサルでの
あまりの要求の多さに団員の支持を得られず、カラヤンが常任指揮者となった。
カラヤンは黄金期を築き、ベルリン・フィルの演奏会ホールは「カラヤン・サーカス」とも呼
ばれる。
カラヤンが辞任したあとは、クラウディオ・アバドが常任指揮者に選ばれ、12年間指揮を
した。
アバドの後任には現在の常任指揮者であるサイモン・ラトルが就任し、現在に至っている。
♪ 安永 徹
1951年、福岡生まれ。
13歳から江藤俊哉氏に師事し、桐朋女子高校音楽科から桐朋学園大へ進学し、在学中
に日本音楽コンクールで第1位となる。
桐朋学園を卒業後、ベルリン芸術大学へ留学、ミシェル・シュバルヴェに師事。
1978年、ベルリン・フィルへ第一ヴァイオリン奏者として入団。
1983年、団員より選ばれて第一コンサートマスターに就任し、現在に至る。
「ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて」
現在のベルリン・フィルの様子をドキュメンタリーで描いていて、非常に興味深い映画でした。
2002年から首席指揮者で芸術監督を務める、Sir Simon Rattle 率いるオケのメンバーの証言と、Sir Simon Rattle の証言、そしてアジアツアーの模様を織り交ぜて、このオケのメンバーとしての思い、そして彼らが追い求めるものが次第に明らかになって行きます。
いつだったか、ベルリン・フィルとウィーン・フィルとどちらが好きか?と聞かれたことがあります。
そんなこと聞かれてもね。。。と思いましたが(どちらのオケも素晴らしいので)、ある一つの理由で「ベルリン・フィル」と答えました。
理由・・・
このオケには第一コンサートマスターとして、安永徹さんがいるから。
日本人として1978年に第一ヴァイオリンとしてベルリン・フィルに入団し、その後1983年にメンバーから選ばれて第一コンサートマスターに就任し、今に至る素晴らしいヴァイオリニストです。
ベルリン・フィルで、一般奏者からコンサートマスターになった初めての人でもあります。
安永さんは世界最高のオケの団員として30年、第一コンサートマスターとして25年、オケを支えてきました。
そもそもベルリン・フィルのコンサートマスターは、一般奏者から選ばれることはそれまでなく、安永さんが最初だった、ということが凄いことで、団員が彼を選んだ、ということはそれだけ団員からの信頼があったという証左でもあり、これを誇らずしてどうするの?と思います。
安永さんのヴァイオリンの音色はふくよかで、澄んでいて、その端整でありながら心の中にすっと入ってくる演奏は、ずっと私の心を捉えて離しませんでした。
奥様のピアニスト市野あゆみさんとのデュオも素晴らしいのです。
かなり昔、大阪のシンフォニー・ホールで聴いた、安永さん率いる「ベルリン弦楽ゾリステン」の「ます」は目の前でますがピチピチと川面を跳ねているようで、その後いろいろな方たちの「ます」を聴きましたが、あのときの演奏に勝るものには未だ出会えていません。
そんな安永さんのいるベルリン・フィル。
団員へのインタビューで、安永さんが
「戦いはいつも自分の中であります。これでよいのかという。でも、それをけして他人に見せてはいけないんです」
と答えていました。
確固たる自信をもって団員をひっぱる姿の後ろに、人間安永徹がいる、というこの言葉に、彼の音楽の素晴らしさを見たように思いました。
映画の最後は、東京・サントリー・ホールでの演奏会。
ベートーベンのシンフォニー「英雄」が演奏されます。
Sir Simon Rattle の指揮は押し付けるのではなく、音楽と、団員と同化して昇華していく素晴らしさがありした。
リハの様子もたくさん出てきますが、そこで交わされる指揮者と団員の忌憚のない意見交換。
それが今のベルリン・フィルが奏でる音楽の元になっているのです。
「何も解決できないことはない。いつかどんなこともきっと分かりあえ、解決できると信じている」
団員の一人が言った言葉・・・
この類稀なるオーケストラが、ずっと世界最高のオケとして存在し続ける最大の理由なのだ、と感じました。
よい映画でした。
クラッシックの世界だけでなく、どんな世界にもあい通じることがたくさん込められた映画です。
♪ ベルリン・フィル
設立は1882年5月1日。
第二次世界大戦中はナチス・ドイツの広告塔的な活動を余儀なくされたこともある。
終戦後、演奏活動を禁止されたフルトヴェングラーの後をチェリビダッケが継いだ時期が
ある。
その後、フルトヴェングラーが演奏活動に復帰し、亡くなるまで指揮を続けた。
フルトヴェングラー亡き後、チェリビダッケが後を継ぐと思われていたが、リハーサルでの
あまりの要求の多さに団員の支持を得られず、カラヤンが常任指揮者となった。
カラヤンは黄金期を築き、ベルリン・フィルの演奏会ホールは「カラヤン・サーカス」とも呼
ばれる。
カラヤンが辞任したあとは、クラウディオ・アバドが常任指揮者に選ばれ、12年間指揮を
した。
アバドの後任には現在の常任指揮者であるサイモン・ラトルが就任し、現在に至っている。
♪ 安永 徹
1951年、福岡生まれ。
13歳から江藤俊哉氏に師事し、桐朋女子高校音楽科から桐朋学園大へ進学し、在学中
に日本音楽コンクールで第1位となる。
桐朋学園を卒業後、ベルリン芸術大学へ留学、ミシェル・シュバルヴェに師事。
1978年、ベルリン・フィルへ第一ヴァイオリン奏者として入団。
1983年、団員より選ばれて第一コンサートマスターに就任し、現在に至る。
by ank-nefertiti
| 2008-11-23 23:47
| 観劇・映画