2012年 11月 25日
深町純トリビュート・ライブ in TOKYO
深町純さんが亡くなられて2年。
その命日の11月22日、目黒にあるブルースアレイで、深町さんの追悼ライブ「深町純トリビュート・ライブ in TOKYO」がありました。
出演者
・KEEP レジェンド (1980年結成 with 深町純)
(G)和田アキラ (B)岡雄三 (Key)渡部チェル (Ds)榎本吉高
・DUO ~Akira Wada×Jun Fukamachi~ (2003年結成 with 深町純)
(G)和田アキラ
・THE WILL (2004年結成 with 深町純)
(Ds)堀越彰 (Vln)渡辺剛 (G)白土庸介
・(Vo)加橋かつみ、元ザ・タイガース. (70' ~feat.深町純)
・ (Vo)藤島新 (Pf)エルトン永田 (揚琴)金亜軍 (Reading)森雪之丞 (Vo)小川美潮
まあなんと凄いメンバーでしょう!
この出演者の中で深町さんと一番古いお付き合いなのは、Joe。
何しろお互いが大学生のころからの友人で、一時はマンションのお隣同士に暮らしていたという間柄。
5年前、Joeが再び歌いだしたときから、深町さんは昔のようにJoeのライブでピアノを担当してくださっていました。
深町さんはJoeのファンたちにとても優しくしてくださって、中目黒の深町さんのライブハウスにお邪魔するのが本当に楽しみでした。
ずっとそういう時間が続くと思っていたのに、本当に突然に深町さんは天国へと逝ってしまわれ、悲しさだけが残りました。
とても悔やまれるのは、亡くなられた年がショパンイヤーで、鎌倉で2日間だけショパンを弾く演奏会をされ、それにとても熱心に誘ってくださったのに、すでに用事が入っていてうかがえなかったことです。
ショパンは深町さんの永遠のアイドルで、そのショパンを弾くことはちょっとね怖いんだよ、とおっしゃりながら、でもとても嬉しそうにしていらして・・・
そのお話をされたときのJoeのライブで、深町さんはショパンの曲を1曲だけ弾いてくださいました。
素敵なショパンでした。
他の誰にも弾けないショパン・・・
用事をキャンセルしても聴きに行くべきだった・・・
悔やんでも悔やみきれません。
それから、とにかく今を逃したら二度目はないのだ、ということを心において、聴きたいもの、見たいもの、行きたいところ、会いたい人、出来ることは出来るときにしておこうと思うようになりました。
で・・・22日もお友達が「行きましょうよ」と誘ってくれたので、彼女に予約もお願いして仕事の後大急ぎで出かけました。
Joeが深町さんの皆さんがあまりご存知でない、シンガーソングライターとしての一面を、と言って歌った本当に初期のころの作品「愛が故郷へ帰るとき」と「小さな子供たちへの歌」、そして最後から2曲目になる作品「夢の合間」を歌って、聴いていた私たちは涙が出そうでした。
22日は、深町さんが本当に天才だったのだなぁと再確認するようなライブで、最後に奥様がご挨拶をされましたが、深町さんの最後の言葉が
「僕は音楽家だ」
だったということに、もっともっと深町さんの音楽を聴きたかったと残念で残念でなりませんでした。
音楽は作り手と受け手がいて初めて成り立つ、とおっしゃっている映像が会場に流れて、だから受け手はもっとこういう音楽を聴きたいんだということを言わなくてはダメだともおっしゃる深町さんに、じゃあ作り手の深町さんは、なんでこんなに早く天国へ逝ってしまったの?と問い質したい衝動に駆られました。
何を言っても深町さんは戻っていらっしゃらないけれど、私たちのJoeが再び歌いだすきっかけを作ってくださったこと、そしてファンがしっかりしなさい!とおっしゃったこと、音楽仲間には厳しい方でいらしたようですが、Joeファンには本当に優しい方だった深町さんの笑顔が思い出されて、ひたすら感謝の夜でした。
参加することにしました。
ポチ!っとして下さったら嬉しいです♪
その命日の11月22日、目黒にあるブルースアレイで、深町さんの追悼ライブ「深町純トリビュート・ライブ in TOKYO」がありました。
出演者
・KEEP レジェンド (1980年結成 with 深町純)
(G)和田アキラ (B)岡雄三 (Key)渡部チェル (Ds)榎本吉高
・DUO ~Akira Wada×Jun Fukamachi~ (2003年結成 with 深町純)
(G)和田アキラ
・THE WILL (2004年結成 with 深町純)
(Ds)堀越彰 (Vln)渡辺剛 (G)白土庸介
・(Vo)加橋かつみ、元ザ・タイガース. (70' ~feat.深町純)
・ (Vo)藤島新 (Pf)エルトン永田 (揚琴)金亜軍 (Reading)森雪之丞 (Vo)小川美潮
まあなんと凄いメンバーでしょう!
この出演者の中で深町さんと一番古いお付き合いなのは、Joe。
何しろお互いが大学生のころからの友人で、一時はマンションのお隣同士に暮らしていたという間柄。
5年前、Joeが再び歌いだしたときから、深町さんは昔のようにJoeのライブでピアノを担当してくださっていました。
深町さんはJoeのファンたちにとても優しくしてくださって、中目黒の深町さんのライブハウスにお邪魔するのが本当に楽しみでした。
ずっとそういう時間が続くと思っていたのに、本当に突然に深町さんは天国へと逝ってしまわれ、悲しさだけが残りました。
とても悔やまれるのは、亡くなられた年がショパンイヤーで、鎌倉で2日間だけショパンを弾く演奏会をされ、それにとても熱心に誘ってくださったのに、すでに用事が入っていてうかがえなかったことです。
ショパンは深町さんの永遠のアイドルで、そのショパンを弾くことはちょっとね怖いんだよ、とおっしゃりながら、でもとても嬉しそうにしていらして・・・
そのお話をされたときのJoeのライブで、深町さんはショパンの曲を1曲だけ弾いてくださいました。
素敵なショパンでした。
他の誰にも弾けないショパン・・・
用事をキャンセルしても聴きに行くべきだった・・・
悔やんでも悔やみきれません。
それから、とにかく今を逃したら二度目はないのだ、ということを心において、聴きたいもの、見たいもの、行きたいところ、会いたい人、出来ることは出来るときにしておこうと思うようになりました。
で・・・22日もお友達が「行きましょうよ」と誘ってくれたので、彼女に予約もお願いして仕事の後大急ぎで出かけました。
Joeが深町さんの皆さんがあまりご存知でない、シンガーソングライターとしての一面を、と言って歌った本当に初期のころの作品「愛が故郷へ帰るとき」と「小さな子供たちへの歌」、そして最後から2曲目になる作品「夢の合間」を歌って、聴いていた私たちは涙が出そうでした。
22日は、深町さんが本当に天才だったのだなぁと再確認するようなライブで、最後に奥様がご挨拶をされましたが、深町さんの最後の言葉が
「僕は音楽家だ」
だったということに、もっともっと深町さんの音楽を聴きたかったと残念で残念でなりませんでした。
音楽は作り手と受け手がいて初めて成り立つ、とおっしゃっている映像が会場に流れて、だから受け手はもっとこういう音楽を聴きたいんだということを言わなくてはダメだともおっしゃる深町さんに、じゃあ作り手の深町さんは、なんでこんなに早く天国へ逝ってしまったの?と問い質したい衝動に駆られました。
何を言っても深町さんは戻っていらっしゃらないけれど、私たちのJoeが再び歌いだすきっかけを作ってくださったこと、そしてファンがしっかりしなさい!とおっしゃったこと、音楽仲間には厳しい方でいらしたようですが、Joeファンには本当に優しい方だった深町さんの笑顔が思い出されて、ひたすら感謝の夜でした。
参加することにしました。
ポチ!っとして下さったら嬉しいです♪
by ank-nefertiti
| 2012-11-25 00:50
| 音楽