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イタリア大好き!な働く主婦が綴る日々の雑感、独り言♪                HN 杏

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報道の在り方

昨日、3月11日、TV局各局はこぞって1年前の大震災の特集番組を放送していました。
新聞も各紙特集を組んでいました。

敢えてTVは見ないという方もいらしたと思います。
敢えて新聞は読まなかったという方もいらしたと思います。

私は敢えてみました。
民放も国営放送も。

民放は演出するだろうな、こんなときでも彼らは視聴率が大事だし、と思って、そちらはチラチラと>苦笑
主に見ていたのは国営放送の方です。

唖然としました。

あの日、仙台と石巻を結ぶ仙石線の電車が走行中に地震が起きてストップ。
海岸線沿いを走る路線ですが、たまたま停まったところがかなり高台で、津波の被害からは辛うじて免れましたが、停電で、その車両には60名以上の乗客が閉じ込められました。
真っ暗ななかで何の情報もないままに一晩を過ごし、翌日ようやく救助された乗客たち。
昨日の放送で、その乗客の中から2名の女性を選んで(どんな基準で選んだのか知りませんが)、閉じ込めれた車両に再び乗せて、インタビューをしていた!

「どこにいたんですか?」
「車内はどんな様子でしたか?」
「怖くなかったですか?(怖かったに決まってるだろうに!)」

女性二人は普通に答えていましたが、かなり私は違和感がありました。

そして、今度は福島で漁に出て、地震が起き、津波があって港に帰れず、沖合を漂流していたときに、福島第一原発の爆発を目の当たりにし、海上自衛隊に救助された男性を、その漂流していた船と見立てた薄暗いセットに座らせ、これまたインタビューしていた!

なんでそんなことをする必要がある?
普通にスタジオに呼んでインタビューすればよいじゃないの?

それじゃあインパクトがないから?

そういう問題?

なんで事実だけを淡々と放送しないのだろう?
なんでこんな演出をしなくちゃいけないんだろう?

otosanが常々言います。

「被災地を見世物にだけはしてくれるな」

未曾有の災害で、ボロボロになっている被災地。
そこに暮らす人々。

その現状を淡々と報じるだけでも、かなりの衝撃であることは誰の目にも明らかなのに、昨日のTV放送はこれでもか!という位に演出過剰だったと思います。

なにか報道の意味を勘違いしていないか?と思いました。

昨日の各TV局の報道の仕方は、被災地を「見世物」にしていました。

より過激な写真、より過激な話題、より過激な出来事・・・
競うように画面に出しては消し、出しては消し・・・
バラエティ番組じゃないんだから!

民放ならいざ知らず、我々の税金と視聴料で経営されている国営放送(敢えてそういう)までが演出ありきの放送をしていたということに、激しい怒りを覚えます。

真の報道とは、事実を客観的に報じることです。

そこに演出があってはならないと、私は思います。
ええ、TVだけでなく新聞にも言えます。

報道に「やらせ」があっては絶対にならないのですよ。

「やらせ」で記事を書く記者がいたとしたら、恥を知れ!と言いたい。
真のジャーナリズムからは程遠い、似非であると、似非ならペンを折れ!と言いたい。

いやしくも報道の世界に身を置くのであれば、己を律して仕事をせよ!と言いたい。
その映像が、文章が、どれだけの影響を社会に及ぼすのか、それを常に胸において仕事せよ!と言いたい。

その覚悟がないのであれば、報道の世界からとっとと身を退きなさい、と言いたい。

otosanではないけれど、「被災地を、1年経ってもなにも変わっていない、瓦礫の山のままの被災地を見世物だけにはしてくれるな」と強く思います。

事実だけ、現実だけ、きちんと報道してくれること、その情報を基に、私たちが出来る支援を考えることができる、そういうものこそが、真の報道の姿である、と昨日のあまりに酷かった震災の特集番組を見ていて思いました。

追記です

家に届けられる岩手日報、そこにはさまれていた特別版です。

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敢えて明るい紙面を作っていて、胸に迫るものがあります。

話しはまるで変わりますが・・・

宮城から帰ってきた娘が、いつになく口が重く、多くを語ろうとしなかったこと、大学時代に家庭教師に行っていたお宅は、亘理の海側で、駅に降り立ち、海側へ目を向けたとき、かつての光景とあまりに違うその様子に、どうしても家庭教師をしていたお宅のある海側に足が向かなかった、向けられなかった、とだけ話してくれました。

学生時代によく友人たちと出かけた荒浜にも行けなかったと言いました。

かつてそこに暮らしたことがある人間にとって、思い出の地があまりに変わり果ててしまった姿を目にしたとき、言葉もなく立ち尽くし、黙り込むしかできないのだろうな、と娘の様子を見て思いました。

それでも、そこから立ち上がり、ひたすら前を向いて歩き始めている被災地のみなさまには、本当に頭が下がり、私たちが感傷的になってはいけない、わずかではあるけれど、本当わずかではあるけれど、被災された皆様に本当の笑顔が戻るまで支援の手を差し伸べていきたい、常に心を向けていたい、それが生きている私に出来る最低限のことだと思っています。


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by ank-nefertiti | 2012-03-13 00:53 | 考えること