「ほっ」と。キャンペーン

Facciamo una pausa♪

apri101.exblog.jp

イタリア大好き!な働く主婦が綴る日々の雑感、独り言♪                HN 杏

ブログトップ

あれから20年・・・

Queenのヴォーカル、フレディ・マーキュリーが天国へ旅立ってから20年たった、今年の11月24日。

今も元気だったら、65歳?

たまたま昨日、wowowで「洋楽主義」という番組で、Queenの回を再放送していました。
デビューからフレディの死で、バンドが休止(彼らは絶対に解散と言っていない)するまでの彼らの活動を振り返る内容で、元気なフレディの歌声がたくさん流れました。

デビューまで時間がかかり、デビュー後は本国イギリスでは、一向に評価されずにいたQueen。
それでも「輝ける七つの海」がヒットし、次第に人気が出始め、「キラー・クィーン」が大ヒットして、1975年に初来日した際には羽田空港に1000人以上のファンが駆けつけ、彼らを大歓迎するという光景が見られて、その後、Queenは自分たちを最初に認めてくれたファンのいる国として、日本をずっと大事に思ってくれています。
そして、それからすべて順調だった彼らですが、1985年頃には、バンド内も不協和音が流れ、それぞれがQueenというバンドで活動することに意味を見失っていました。
そんなとき、チャリティの「Live Aid」への出演依頼があり、活動の意義を見失っていた彼らは出演を断ろうとしましたが、主催者からの要望によって出演アーティスト中最も多い6曲を演奏し、大喝采を浴びます。







そのLive Aidへの出演をきっかけに、「まだ自分達には出来ることがある」と思い直したQueenは、解散を思いとどまり、新たなレコーディングを開始します。

再び活動を開始したQueen。

ただ、ライブのツアーは1986年が最後となり、その後はアルバム、シングルのリリースが主な活動の場となりました。
そのような活動となった理由として、フレディが1987年にはHIVに感染しているからではないか、という憶測が飛び交い、そのたびにフレディが否定するということが繰り返されましたが、思うに、その憶測は多分正しく、フレディは確実に病魔にその身体を蝕まれていたことは間違いありません。

そして、1991年11月23日、フレディは自宅前でスポークスマンに会見をさせました。

「私はHIVテストで陽性と診断され、AIDS患者であることが確認されました。しかし私の身の回りの人々のプライバシーを守るため、この事実を隠しておくことが適当だと考えておりました。 しかし今、世界中の友人たちとファンの皆様に真実をお伝えする時が来ました。これからはこの恐ろしい病気に対して、私と私の医師団と世界中で私と同じように苦しんでいる人々と一緒に戦って下さい。」

この声明文が読まれた翌日の11月24日、フレディ・マーキュリーは天国へと旅立ってしまいました。

メンバーのブライアン・メイが、

「フレディは、自分の人生が最悪のものだとか、自分は死んでしまうんだとか悲観的なことは一切言わなかった。彼は本当に強い人間だった」

と言っていますが、本当にそういう強い人だったのでしょう。

私の中で、フレディ・マーキュリーは、今も最高のヴォーカリストです。
彼の、この歌声は、誰にも真似のできない、そして二度と現れることのないものだ、と私は思っています。

あの日からもう20年が経ちました。

それでもフレディが歌ったQueenの曲は、今も世界中で流れています。

最後のシングル



この高音が出ないのではないか、とブライアン・メイは心配したそうですが、とんでもない、きれいないつものフレディの歌声です。



にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
人気ブログランキングへ

参加することにしました。
ポチ!っとして下さったら嬉しいです♪
by ank-nefertiti | 2011-11-28 23:15 | 音楽