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イタリア大好き!な働く主婦が綴る日々の雑感、独り言♪                HN 杏

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Veritas vos liberabit(タイトルを変えました^^;)

先日、こちらのブログでイギリスの今回の暴動についての記事があり、ああそうなんだ・・・ととても興味深く読みました。
そして、皆様からのコメントも非常に興味深く、うなずくことも多く・・・

で、uransuzuさんにお約束をいたしましたので・・・
自分のところで、平等と逆平等についてちょっと私見を~^^

今から30年ほど前、大阪に転勤で暮らすことになったとき、社宅の東京から転勤できている先輩夫人から最初に言われた一言は、私は小説の世界でしか知らないことだったので、現実にそういうことがあるのだ、とお恥ずかしい話ですが、現実として知って、かなり驚きました。

「ここでは、立ち話で、Yの話しとHの話しはしてはいけない」

Yはお分かりかと思いますが、ええ、怖いお兄様がたのことです。
では、Hは・・・
「橋のない川」「夜明け前」と言えば、お分かりいただけるでしょうか。

そして・・・
息子が小学校に入り、運動会があり・・・
え???な光景が・・・繰り広げられ・・・

徒競走がプログラムにあるのですが、みんなで同時にゴールをするんですよ。
これにはもう本当に驚きました。
聞いてはいたのです。
「みんなでね、それこそお手手つないでゴールするのよ」
って。

今はそういうことはもう無くなっているとは思いますが、30年ほど前は普通の光景としてあったのです。

つまり・・・
子どもに順位を付けることは、よくない、という教育的配慮から・・・

いや、それは違うでしょ・・・と思いました。
運動が苦手な子もいて(家の息子がそうでした)、そういう子は徒競走なんてやだ!と思っていたかもしれませんが、人間、いつも好きなこと、楽しいことばかりで人生を送れるわけじゃないですから。
嫌なことでも、つまらないことでも、頑張る、ということが大事なのだ、ということも運動会では教わるよい機会なのに・・・
だけど、お手手つないでゴールイン。

家の息子のように、運動苦手で、運動会は苦痛なだけ、の子もいれば、運動が大好きで、運動会だとヒーローになる子もいる・・・
なのに、この教育的見地からの、みんなでゴールインは、そういう子からもヒーローになる機会を奪い取ってしまう・・・
それは、随分なのじゃないの?

これは、ある意味逆平等の典型的なものか、と思います。

そして、大阪から盛岡に転勤してみたら・・・

今度は、競争の世界でした。
クラス担任から「大阪や東京じゃどうだか知りませんが、ここはナンバースクール制ですから。とにかく盛岡一高!そこへ子供を入れることが、大事です!」と言われ・・・

はあ・・・
あの・・・我が家は転勤族で、息子が高校に入るまで、残念ながら盛岡にはいないのですが・・・

とおずおずと言ったら、

「おかあさん!何をのんきなことを!今から!今から頑張らせなくては一高へは無理、無理っ!」

いや、だから、その一高へは行かないんですって!
行きたくても、その頃はまた違うところへ転勤で移動なんですって!

お手手つないでゴールイン、の世界から、とにかく頑張る、一等目指して!の世界へのシフトチェンジは、かなり親子とも厳しいものがありました。

ただ、岩手というか東北の、非常に厳しい歴史を持つ地域に暮らす人々には、この「一等目指して!」という強い気持ちは、とても大事なものだったのじゃないか、と思います。

話しがそれましたが・・・

大阪の件は、これはもうある方たちへの気配りというのか、気遣いというのか、それは逆に失礼なことなのじゃないか?とも言える、平等だからね!というちっとも平等でない気持ちから起きたことだと思います。

戦後、日本に進駐したのが、アメリカであった、ということが、日本にとってよかったのか悪かったのか。
あの時点での出来事が、この国の未来をある意味決定付けた、と言っても過言じゃないと私は思います。
そこにいたのがアメリカでなく、歴史を持つヨーロッパの国だったら・・・
また違う日本の姿があったのじゃないか、とも思いますが、どうでしょうか。

自由で、平等である、ということは、勝手気ままでよいということではなく、そこに責任と義務が伴うのだということ、そして、真の平等の世界とは、互いが互いをきちんと認め合うことが出来る世界を言うのだ、と私は思います。

どちらか一方だけが優遇され、権利を主張し、それを行使する、そんなことがまかり通る世界は、それは真の自由を持ち、平等な世界からは程遠いものだ、とも私は思います。

そして、とにかく戦後、日本は自由で平等な世界になった、と全国民が思い、お金があれば、何でも出来ると勘違いをし、本当は行きたくもないのに、なんだか親もそういうし、周りもそうするからと義務教育の後、みんな高校へ行き、またみんな大学へ行く。

みんな学士になって、じゃあ、その大学で学んだことは、どこまで活かせているの?ということになると、全員首をかしげる・・・
中には、きちんと勉強したことを己の人生の役に立てている人ももちろん大勢いますが、そうでない人もこれはまた大勢いて・・・

中には、この大学へ行けば就職に有利、ここはダメ、というえ?な理由で、学校を選ぶ人もいて、ん?それは、違うでしょ、そもそも大学はそのために行くのではないでしょう、と言いたくなるような昨今の日本の状況に、そんなことをしなくても、自分がこうなりたいという職業に就ける世界が本当の自由、本当の平等な世界なのじゃあないかしら、と思います。ふふ、甘いですが。

私の卑近な例で言えば、ロースクールを出ないと司法の世界に行けなくなってしまった改革(と言っていますが、本当に?)は、自由・平等の世界から後退してしまい、逆平等の世界へと突き進んだよい例かと・・・

とここまで書いてきて、あら!私は、自分の手に負えないことを書いている!とはた!と気づき、今、かなり青くなっております・・・

今日はボスと私しかおらず、電話が鳴り響き,ようやく昼休み^^
で,追記します。

「Veritas vos liberabit」

この言葉は、息子が学んだ高校の講堂に掲げられていた言葉です。

「真理はあなた達を自由にする」

ヨハネ福音書8章32節のラテン語訳です。

良い言葉だと思いました。

「真理」を学ために,上級学校へ行く・・・それが、本来の姿であろうと私は考えます。

しかし・・・
この記事、はは、支離滅裂ですね、すみません・・・^^;



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by ank-nefertiti | 2011-08-19 01:22 | 考えること