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イタリア大好き!な働く主婦が綴る日々の雑感、独り言♪                HN 杏

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まぼろしの邪馬台国

今日の記事は、写真もなく、硬いながーい文章だけのものです。
興味のない方はスルーしてくださいね~^^


実を言えば、いえ、言わなくてもなんですが、私は歴史が好きです。
高校時代、他にはあまり取り柄がなかったけれど、歴史の成績だけは非常によくて、日本史も世界史もクラスメートからはちょっと一目置かれていた・・・んです^^

どの時代も興味がありましたが、凄く好きだったのは古代史。
エジプトも、中国も、メソポタミアもインダスも、そして時代が少し近づいてギリシアもローマも。。。
もちろん日本の古代史も。

中学の1年のとき、父が持っていた、宮崎康平さんの「まぼろしの邪馬台国」を読んで、エジプトよりも時代が近い邪馬台国のことがなにもわかっていない、ということにとても驚き、そして興味を持ちました。
以来、邪馬台国と女王卑弥呼は、その文字を見たり聞いたりするだけで、どこか胸が躍る存在です。

邪馬台国は九州にあった、とする説と、いや音から大和、つまり畿内にあった、とする説とどちらも一歩も引かず、未だその所在は定かではありません。
宮崎さんは記紀を奥様に読ませ、音で聞き、国語学的な解析も加えて、九州、島原あたり、とその著書の中で述べていますし、学者たちもそれぞれの主張を様々な見地からしています。
その考察の元になっているのは、「魏志倭人伝」。
魏の国の歴史書の「倭人」の項に書かれた「倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。 旧百余國。」に始まる文章です。

そして

「南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず」

この文章中にある「水行十日、陸行一月」の解釈をめぐって、これだけの時間を使うのだから、九州はあり得ない、距離的にも畿内だ、いや、あの文章はそのあとにかかるものだ、誤記だ、と多くの議論が交わされてきました。
そして、卑弥呼が魏から贈られたという鏡の存在。
この鏡が発掘されている鏡のどれなのか、ということも議論を呼んで、未だになにもわからない、という日本史の謎の時代、謎の国、謎の女王です。

そうしたら・・・
今日、「箸墓は卑弥呼の墓か?」というニュース

箸墓は「倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)」が葬られていると言われる古墳です。
以前からこの古墳はもし畿内に邪馬台国があったのだとしたら、卑弥呼の陵墓なのではないか、と言われていました。
今回は発掘された土器に付着していた炭化物を放射性炭素(C14)年代測定で計測し、古墳が作られた年代が卑弥呼の時代に相当する、という結論を導き出した、と国立歴史民俗博物館の研究グループは述べています。

もし、そうなら・・・
邪馬台国論争は一歩前進したことになる。。。
他の研究者からは慎重論も当然に出ていて、これからもたくさんのデーターを集めることが、この研究結果をより確かなものにしていくことになるのでしょう。

九州か畿内か。
卑弥呼の墓はどこにあるのか。
そんな100年以上にわたる論争に終わりがくるときが近づいているのでしょうか。

まぼろしの邪馬台国は、まぼろしでなく、その本当の姿を私たちの前に現してくれるのでしょうか。

歴史は、本当に面白い・・・
今日のこのニュースを読んで、益々その魅力にはまっていく私でもあります。
by ank-nefertiti | 2009-05-29 22:33 | 歴史

by 杏