今から40年前。
私は高校生でした。
公立高でしたが、そこになぜか沖縄出身のクラスメートがいました。
大越境入学!と思っていたら、中学3年から東京へ出てきて都立高を受験したということを聞き、あ、それならありだわ、と納得しました。
当時、というかそのクラスメートと同じクラスになったころは、沖縄はまだアメリカの統治下にありました。
戦後から何十年も経っているのに・・・です。
そして、同じクラスになった5月に沖縄は日本に返還されました。
TVで当時の佐藤栄作首相が涙を流して「記念すべき日だ」と言っているのを見て、沖縄の人たちはこのことをどう思っているのだろう?とふと思ったことを思い出します。
というのも、M君というクラスメートが沖縄が返還される日が近づくにつれて
「どうなるのかなぁ・・・アメリカ軍の基地に頼って生きている人たちも多いから。うちもそうだし」
と言っているのを聞いていたから・・・でもあるのですが。
あれから40年経って、沖縄にはいまだにアメリカの基地があり、さまざまな問題を抱え、何も解決されていないという事実。
一度だけ訪れた沖縄で、嘉手納基地の前を通った時、離発着を繰り返すアメリカ軍の戦闘機の轟音に、ここではまだ戦争が行われているのだろうか?と思い、その後訪れたひめゆり部隊の記念館で見た少女たちの写真や手紙に、日本が沖縄に強いてきたもののあまりの過酷さにただもう茫然と立ち尽くすしかなかったこと・・・
そしてそれが今も沖縄では続いているということ。
東京の繁華街での若い人たちへのTVのインタビューで、彼らがあまりにも他人事で、何も知らないということにも愕然としました。
「沖縄って遠くて。もっと近かったらいろいろと考えるのかもしれないけど。所詮他人事?」
という話を平然とする若い人たちに、ああこれでは沖縄は永遠に救われない、と悲しく思いました。
確かにアメリカ軍の基地があって、そこで働く日本人も多く、米兵を相手にしているお店も多くある、という事実と、その基地がもたらすたくさんの問題。
今も頻繁に起こる暴行事件、飛行機の墜落、その墜落で命を落としたたくさんの沖縄の方たち。
アメリカ軍の基地を県外へ、と大風呂敷を吹いて大量の票を得た民主党というか当時の党首の鳩山由紀夫。
でも、何もできなかった。
ただただ沖縄の方たちへ期待を持たせ、そして絶望の淵へ追いやっただけ。
基地の問題は、一筋縄ではいかない、ということをわかっての県外移転の発言だったのだろうか?となんとも発言の軽い鳩山某だけに私は、ひたすら思いつきで言ったとしか思えないのだけれど、どうなのだろうか。
基地を移転させるなら、そこで働く日本人の次の職をどうするのか、また基地があって成り立っている商店などは基地無き後の店の存続はどうなるのか、などの経済的な問題と、米兵による暴行事件や交通事故、飛行機の騒音問題、墜落事故などの平和国家であってはならないことが起こるという問題。
そういうことを全部考え抜いての発言だったのだろうか?と大きな疑問が残ります。
期待だけ持たせて、何もできませんでした、では、戦後何十年も耐え、今もさまざまな複雑な思いを抱えて生きている沖縄の方たちに対してあまりにも酷くはないか?と思います。
本土にもアメリカ軍の基地はあります。
東京近郊では神奈川の厚木、そして横須賀。
去年訪れた長崎の佐世保にもアメリカ軍の基地があります。
それらも一緒に考える、そういう試みがあってもよいのではないか?と思いますが、それは素人の安直な考えでしょうか。
ちょっとM君に今どう思うか聞いてみたいです。
とは言うものの・・・
卒業クラスの3年9組、同窓会名簿を見ると・・・
なんと行方不明者の多いことかしら!!!
凄く仲の良かったクラスなのに、なんでこうなったんでしょうかね?
あら!高校だけでなく、中学も小学校も卒業クラスの名簿を見ると、行方不明者がなんと多いことよ!
あ、最後話がそれてしまいました^^;


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